お客様の声

 墓石の建立 

3回忌を節目にお墓を作ろうと決めました。大垣市 大橋 隆司様 清美様

夫:実は、お墓を建てないつもりでした。墓地は亡父が買っておいてくれたので、母親は「お墓を建てて欲しい」と生前から私に言っていました。ただ、私のあと誰がお墓を守りするのか、子どもたちに負担をかけるのも嫌だったのでずっと建てないつもりでした。
妻:亡くなって丸2年、三回忌を迎えるねと夫婦で話をしている中でね。
夫:母親も希望しているし、やっぱり作ろうと急遽決めました。じゃあどこがいいかな、となって。
妻:職場の知り合いにお寺の方がいらして、「石寅さんいいよ。次の代の息子さんも跡を継がれるので、石屋さんが辞められることはないよ。お墓を建ててからのお付き合いも出来るよ。」と教えて貰いました。元々、大垣公園の横に石屋さんがあるのを知っていましたので「あ、あそこにあるね!じゃあ!」となりました。その息子さんも資料など持って来られたり、親子でされている様子も安心感があって良かったです。
夫:うちの家の前の人も石寅さんと知り合いで、その方から兵庫県の丹波篠山で息子さんは修行されてきたと聞きました。
妻:母も石寅さん知っていて「あ~あそこなら」と納得していました。

オール和型の墓地で我が家が初めての洋墓です
夫:ここの墓地はオール和型で、うちのお墓が最初の洋型になりました。当初、インターネットでお墓の写真を見ているとアメリカ式の洋墓は芝生の中にあり、この墓地に合うか疑問でした。洋型デザインの図面を見ながら「1本ラインを彫刻してアクセントを入れたい。雨が溜まらないように角度はこうして」と細かく要望を出しました。
妻:打合せに何度もお店へ通いました。石寅さんも「見た目だけでなく、ここはこうするといいよ」とかちゃんと教えて下さいました。
夫:デザインは額縁のようになり正解だったと思います。正面の文字は父親への感謝という文字を縦に書くか、横、斜めにするか考えましたが、必ず俱(とも)に一つの処でまたお会いすることができる、という教えの意味の「俱会一処(くえいっしょ)」としました。書は私が書きましたが少し筆のはね方が気にいらなかったので、彫刻する前のゴムを見にいき「もうちょっとこうして」とお願いしました。何度もやり取りさせて貰ったので、石寅さんも結構大変だったと思います(笑)。
妻:主人も最初は書くつもりなかったですけど石寅さんに「書かれてはどうです?」と言われたので「そういうことをやって良いんだ」と思いました。
夫:うちの住職に話したら、自分も書きたかったようなことを仰ってました(笑)。
妻:和型のお墓ばかりの中で浮くかなと心配もしましたが、出来てみるとどっしりとして、色も良くしっくりくるお墓になりました。

 墓石の建立 

お墓をつくろうか、どうしようか迷っていました。瑞穂市 伊神 康仁様 香代子様

夫:親父は平成28年に亡くなりましたが、私はひとりっ子なのでお墓をつくろうか、どうしようか迷っていました。理由は、私たちには子どもが一男一女いますが、お墓を作っても長男が面倒を見ていってくれるかわからない。母も当初はお墓の話をしていましたが、言わなくなったこともありました。
妻:それが、長男夫婦が帰ってくることになり男の子も生まれましたので、暫らくはお墓をみて貰えるかなと夫婦で話すようになりました。
夫:骨壺がずっと仏壇にあるのも気になるしね。

妻: お墓を作るにあたっては長男と長女、嫁や婿も交え「お墓を作りたい」と相談しました。すると、全員が「お参りに行く場所ができるから、あった方がいい!」と賛成してくれました。永代供養にしてお寺に預けるとことも考えましたが、家から近い場所に亡父と母が買っておいてくれた墓地があります。みんながお散歩しながら、気軽にお参りすることができるのでお墓を建てようとなりました。
夫:墓石店はぼくのいとこが石寅さんとお付き合いしていて、ずいぶん前から聞いていました。
妻:「すごく良いところだから、お墓を作ることになったら石寅さんに相談するといいよ」と。いとこが言うなら確かだろうと思いました。

若い世代も気に入る、お参りに行きたくなるお墓づくり
夫:最初から昔ながらのお墓は考えていませんでした。映画やドラマを観ていて、建てるなら洋風が良いと思っていました。
妻: 「洋風ならこういうデザインがありますよ」と見せて貰ったのが気に入り、イメージ図を貰ってまた、家族会議を開きました。「これいいね、すごくいいね」とみんな賛成して決まりました。
夫:母にはお墓が出来てから話すことにしました。恐らく、みんなで選んだお墓なので気に入るだろうと思いました。
妻:お披露目の時に母から「すごくよいお墓ね」と言われ、とても嬉しかったです。みんなで写真をバチバチ撮って楽しかったです。

夫:この墓地には洋風デザインのお墓は2つしかありません。お年を召した方には「ハイカラやなぁ」と思われるかも知れませんが、この形にして良かったです。花たてもぽってりとしたデザインで、花筒にはチェーンが付いて取り出しやすく機能的です。
妻:前面に板石が敷き詰めてあるので雑草の心配もありません。また、地震や震災でお墓が倒れたことがありますが、こうした低いお墓は災害がきても安心していられます。

いい場所に、いいお墓ができて大満足です。

妻:いずれ私たちがここに入っても、娘や息子の家族たちがお散歩がてら会いに来てくれるでしょう。また、私たちが年老いて車に乗れなくなっても、家から近いここなら歩いて来ることができます。良い場所に墓地を買っておいてくれた亡父と母に本当に感謝しています。
夫:いい場所に、いいお墓ができて大満足です。石寅さんで良かった。
妻:話しやすく、相談しやすい。丁寧に説明して貰えるので納得できます。
夫:老舗だと杓子定規の提案とか、偏屈な職人のイメージを持っていましたが石寅さんは全く違って、親しみやすく打合せも楽しかったです。若い世代が気に入り、お参りに行きたくなる、代々続くお墓を作って貰えました。

 墓石の建立 

小さなお宿ができました。大垣市 金森 貞夫様 親子様

夫:建てようか建てまいか3年ぐらい悩んでいました。
妻:私は身体が弱いので早く用意をしたいと思っていました。
夫:約1年前に妻が大怪我をして3か月程入院したのです。手術前に医師から、「寝たきりになるかも知れません。」と言われました。
妻:本当に大変でしたが、夫をひとりにしておけないので、リハビリも頑張って無事に歩けるまでになって帰って来ました。でも、大怪我を含めてこれまでに4回生死をさまようことがありました。
夫:僕も高齢だし「やっぱり建てよう。」と結論を出しました。

妻:お墓の段取りは全て主人がやってくれました。
夫:妻がお花とお茶の先生をしていたので、お墓に桜の花を飾りました。心という漢字も書体によってイメージが変わるのですが、思っていた通りの雰囲気になりました。
妻:大変な時代になってきていますが、正直で真っすぐに、人に迷惑を掛けないように“心”さえ真っすぐであれば良い、という想いで刻む文字に決めました。
夫:小さなお宿ができた、と思っています。

夫:昭和35年2月7日に結婚してから、令和2年で連れ添って60年になります。
妻:こんなに立派なお墓ができたから「最後まで夫婦仲良く暮らそうね」と話しています。

 墓石の建立 

お墓づくりの情報収集はネットとリアルが大切!大垣市 朝原 昌彦様

2018年9月5日に父が亡くなりましたのでお墓を作ることにしました。墓地は私がまだ小学生か中学生の頃に、亡父がほづみ霊園ができたのを機に購入していました。

はじめてのお墓作りなので分からないことばかりでした。まず、インターネットでいろいろな写真を見て、どんなお墓にするか妻と話をしました。形は「タテ型(和型)よりお洒落な感じのする洋型がよいね」、「正面に彫る文字はシンプルに朝原家として、ただそれだけだと寂しいのでお花など入れたいね」など希望するお墓のイメージを膨らませました。

次に、どこのお店に頼むかもインターネットで調べようかと一瞬考えましたが、妻から「そう言えば、息子の同級生のお宅は墓石屋さんじゃなかった?」という話になり連絡を入れることにしました。最初にお会いしたのは、ざっくばらんで気さくな奥さん。その後に代表とお話をしました。とても雰囲気のよい方で人間対人間の関係ができ、信頼できそうな方でしたので決めました。

私たちの要望からある程度提案して貰えたので、すんなり決めていくことが出来ました。例えば「洋風だったら白っぽい石は似合わないよ」とか、「予算からこういう石が良いよ」など。また、お墓と言うと墓石部分だけのイメージでしたが「土台となる敷地も含め、セットで考えると良いですよ」といろいろ教えて貰いました。そして、きちんと図面におこして見せてもらえイメージ通りの形になりました。

今年は元号が平成から、令和に変わる記念の年になりました。そこで、建立日を令和元年5月1日とし、ちょうどその日に納骨と墓開きを行えました。お墓というのは作った人の名前が永遠に刻まれています。私の名前が子の代、その次の代へと引き継がれていくのは嬉しく、非常に良いなぁと感じています。

もし、お墓選びで悩まれている方にアドバイスするとしたら2つあります。 まず、どんなお墓があるか、どんなデザインがあるかなどはインターネットに沢山写真が出ていますので、それを見て学ぶことは大事だと思います。もうひとつは、私はたまたま知り合いから繋がりましたが、他の方もそうだとは限りません。安さとか、ビジネスライクにならないためにインターネットだけでなく、周りの知り合いの方に「誰にお願いして、どうだった?」と直接聞いて、情報を集めることも大事なことだと思います。

カスタマイズされたばかりの愛車 定年後に海へ遊びに行くのが楽しみ、とおっしゃる朝原様

 歌碑の建立 

芳清庵20周年記念碑の建立大垣市 清水雷太郎様 倣子様

茶席 芳清庵は自宅の一角に建立し平成30年で20年になります。
私たち夫婦が傘寿を迎えた平成最後の年に、20周年という節目を迎えた感謝と記念の証として石碑の建立を計画しました。

実は10年前も考えていたのですが、なかなか思う石がなく作れませんでした。私は自然石を見たり、集めたりするのが大好きです。ちゃんとした石碑を作るなら堅い石として定評のある安山岩が良いと思っていました。
安山岩は硬くて百年、千年風化しない石と言われています。
石の相談で石寅さんに伺ったところ、丁度よい形の安山岩を手配してくれました。本当に嬉しかったです。

書道は大垣市在住の野村松雲先生にお願いしました。書道を愛好し、書技を学習研磨されている素晴らしい先生です。野村先生の書と石寅さんの彫刻が相まって満足できる記念石碑が出来ました。

平成最後の年に大仕事が出来たことに大変満足しています。

芳清庵が地域の集いの場として、いつまでも愛されることを願っています。

 墓石の建立 

私たち夫婦も入るのだから悔いのないように、満足したい。大垣市 河合 正夫様

昭和26年に父が建てたお墓にはもう法名が入らなく、昨年5月に母が亡くなったのを機に、新しいお墓を考えました。それまで全く、お墓について考えたことがなく、先入観も知識もありませんでした。
そこで、当時のお墓は先代の石寅さんにやって貰い、母も生前、お墓のちょっとした手直しを頼んでいたこと、また、大垣で一番古くからあり、信頼できるお店と感じていたので石寅さんに伺いました。
石寅さんのお話を聞いて、流石にいろいろ勉強してらっしゃると思いました。私はこういうのは無頓着で親任せでした。いざ亡くなってみると自分たちの番で知らないことばかり。仏法の習わしや仏の教えなど、いろんなことを教えて貰いました。

お墓については、家内とお店でいろいろな墓石を見て、説明して貰いやっぱりオーソドックスな形が良いと思いました。形を一番に決めて、前よりはちょっと大きいサイズで、墓誌を付けたいと希望しました。次に、石材をどうするかということでインド石や中国石から始まり、日本の各地で採れる石など教えて貰いました。やはり、日本に生まれ、日本人として入るのだから私は国産がよいと思いました。その中で、香川県の庵治石がきめの細かさや模様、色合いも良いなぁと気に入りました。値段のこともありましたが、何度も買うものではないし、家内も「折角、いい石があるのなら良いものにしたい。いずれ私たち夫婦も入るのだから悔いのないように、満足したい。」と言い決めました。
仕上がりは本当に満足しています。見渡すとやはり自分の墓が一番いい、と十二分に満足しています。

お墓とは、自分を顧み自分を確かめる、そういう場所です。
心のよりどころですね。家系を調べてみたら、河合家は関ケ原で始まり、江戸時代に大垣の久瀬川に移り、代々続いています。
いま自分があるのは先祖のお陰だとあらためて感じます。だから、お墓は立派なものにして、次の代、そのまた次の代に繋いでいきたい。このお墓に皆が来て、手を合わせて感謝をしていく場所にしたいです。しきたりなどだんだん寂れつつありますが、私は元に戻って、自分を取り戻すというか、自分を顧み確かめる、そういう場所にしたいです。

 墓石の建立 

私の置土産としてお墓を作りました。海津市 森 好政様

うちのお墓は墓地の敷地内に2つあり、1つは100年ぐらい前からのもので、もうひとつは30数年前に大爺さんが作られたお墓です。以前からお墓の建てかえを考えていましたが、2年前に私の両親が続けて亡くなり、今年3回忌の法要を無事に終えたのでお墓を新しくしようと決めました。
息子たちにお墓を残しておけば40年、50年もつので、あとは残されたものが考えてくれる、私の置土産の気持ちです。またこれを機に、お墓を1つに整えようと思いました。夏場のお花は枯れるのが早く、小まめにお参りに来ていてもすぐ枯れてしまう。2つあると維持が大変でしたから。

ただ、石屋の知り合いがないので何処か良いお店はないか、と両親の葬儀を頼んだ葬儀社に尋ね石寅さんを紹介されました。実は、その葬儀社の奥さんは私の同級生で、私のことをよく知っています。「石寅さんは堅い人で、貴方とよく似ている。」と言われ、それなら私とよく合い、間違いないと思い大垣のお店に伺いました。

私と似て、嘘をつく人ではないと感じた。
お墓に対しては国産の石材で、高からず低からず、大きすぎず小さすぎないものが良いと思っていました。最終的に横は9寸、2段のお墓に紋を入れ、法名を刻む墓誌を付ける形にしました。金額はピンからキリまであると思うので、幾らと聞いても私は素人でよく分からない。まあ、この人は私と似て嘘をつく人ではないと感じていたので、「本職から見てせいぜい勉強して」とだけ言いました。石寅さんは私と似て嘘をつく人ではないので、あんばよう※ やってくれました。
※しっかり、ぬかりなく、具合良く、程よいという意味。

今朝もお墓参りに行ってきました。近所のお婆さんも来ており、「この前、お孫さんがお参りに来とったね。貴方のお墓はよく考えて、きちんと作ってある。」と言って貰えました。高からず、低からず立派なものが出来て満足しています。

 墓石の建立 

会いに行ける場所ができました。大垣市 伊藤加代子様 尚様(息子) はるな様(孫) 冨岡聡子様(娘)

母:闘病生活が長く心構えはできていましたが、2020年4月30日平成最後の日に夫は亡くなりました。

息子:お墓は寒い時期を避けて1年以内には建てようと思っていました。大垣公園の辺りは車でよく通り、知っていたので石寅さんは行きやすいところだな、と感じていました。
正直、お店に行ったら直ぐお墓ができるものだと思っていました。ところがどっこい、結構考えることがあり甘かったです(笑)。お墓は和型でなく洋墓が希望でした。展示は和型が多かったので洋墓の本を借りて話合い、「こういう形がイメージです」とリクエストして図面に起して貰いました。

一番大変だったのは彫刻のデザインです。お墓の正面には花を飾りたいと思っていましたが、どんな花にするかで結構悩みました。最終的に私の妻が本から写したラフな花の絵で相談したところ、「彫刻できるように手を加えます」と言ってもらえ安堵しました。

お父さんはどんな方でしたか?
息子:料理はしなかったけど、何でも作る人だったよね。
母:下駄箱の棚、電話台、孫のピアススタンドなど日曜大工で色々なものを器用に作ってくれました。「やって」と言ったことはやってくれる人。やってないと、私が怒ってあとでやっちゃうから(笑)。
娘:いま思うと、いいコンビだったよね。小さな喧嘩っぽいことをしても2人でよく出掛けていたよね。
母:私は車を運転できるのですが、方向音痴なところがあって目的地と違う場所に着くことがありました。それからは心配だからと言って、独りで出掛けさせて貰えなかったです。どこへ行くにも「連いてく。連いてく。」と言って一緒に出掛けていました。
娘:ほんと、ラブラブでした(笑)。

皆さんにとってお墓とは?
息子:お墓を建てられることはおめでたいこと、と思っています。順番にみんなが入っていく。第2の家ができた感じです。
孫:優しかったお祖父ちゃんに逢える場所です。
娘:手を合わせるって大事なことだと思います。手を合わせながら悩みや報告を話して心がほっこりできる場所です。
母:お父さんはいつも「(私を)ひとり置いては逝かないよ。」と言っていたのに置いて逝ってしまった。悔しいけど、逢いに来るのを待っているだろうから。ここならひとりで車を運転して来れる場所です。

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